宝塚音楽学校96期裁判の記録(全まとめ) ポイント解説

5. 自治というと聞こえはいいけれど

委員たちによる自治。宝塚ファンはそれを、美しい伝統だと信じてきました。しかし、その自治の悪用こそがこの事件の鍵だったのです。

<委員の権力>
自治の名のもとに、委員は絶大な権力を持っています。事務長への報告はすべて委員が行い、同期同士の「お話し合い」の司会も委員が仕切ります。問題にあたるのはすべて委員です。その委員の役割も特に明文化されていません(α証言)。これでは、委員の人柄によってどのような運営も可能ということです。

原告に対する、洗濯機の使用禁止、下校時の買い物の禁止、原告抜きのメーリングリスト作成、部屋で電気をつけることを禁止、「自分が失敗だと認めなくても39人が失敗だと思ったら失敗だ」(αの発言 原告の母親のメモより)…非人道的なことを委員が勝手に決めていたのです。原告の両親は「学校側は委員に対し、綱紀粛正を白紙委任しているのでしょうか。」(H20.11.14 回答書)と糾弾しています。

<職員の無知>
学校は何をしているのでしょうか。生徒と対応するのは、主に事務長です。しかし、事務長は生徒たちの実態を知りません。→ポイント解説4.音楽学校は「学校」じゃない

たとえば、寮のある部屋に生徒が大勢寝泊まりしていることを、樫原事務長は「たまにあった」とだけ証言していますが、原告陳述書には「毎日10名前後の生徒が泊まり用の道具を持参」(H20.12.22)と書いてあります。Wさんのブログに掲載されていた写真では、原告の陳述どおり、1部屋に11人が同じ部屋にいることが明らかになってしまいました。原告陳述書やWさんの陳述書からは連日のお話し合いがあったことが明らかになっていますが、樫原事務長は「頻繁に長時間の委員中心による「お話合い」が行われるという点は否認する」(H21.12.10答弁書)そうです。

事務長は盗みの現場を見ていないどころか、捜索の現場にもいません。6月15日の捜索も、9月17日のコンビニ万引きも、劇場でお客さんの財布がなくなった件も、すべて委員の報告を聞いているだけです。

<自治とは無法地帯の別名>
職員が生徒の実態をほとんど知らないといった状況は特別ではないようで、予科の最初の頃、部屋が荒らされたときも、報告しても職員はすぐには確認に来ませんでした(R証言)。また、生活用品や現金が多数なくなっていったとき、委員たちはなんと、当初は学校に報告するつもりはなかったのだそうです(H22.3.3α陳述書 乙15)。また、裁判記録として提出されている被害届18人分には、「盗まれたときどう対処しましたか」という質問がありますが、なんと「先生に相談した」はたったの一人! 残り17人は「同期に相談」「親に相談」しただけなのです。(ちなみに、「先生に相談した」と答えているのは一番委員のα。つまり、委員だけが「先生」と接しているわけです。)

「自治」。名前は立派ですし、得るところもあるでしょう。しかし、現金が盗まれるような事態を、社会に出たこともない10代の少女たちが自力で解決できるはずがありません。それなのに、職員に相談しようとしないその発想は、いささか異常です。

自治の名のもとに無法地帯と化し、職員は何も制御できず、まんまと委員の策にはまっていくのも無理はありません。

宝塚ファンはこれまで、委員であった生徒に対しては「大変だったね」と好印象を持つのが普通でしたが、それがこんな落とし穴だったとは、残念な限りです。

→ 6へ そんな「自治」を生んだ価値観とは

inserted by FC2 system