宝塚音楽学校96期裁判の記録(全まとめ) 事件の検証

1. 2204号室の実態と、入学から大捜索まで

この事件のポイントは、原告とαの2204号室に大勢の生徒が寝泊まりしていたため、原告はこの部屋に短時間しかいることができず、盗品を仕込むことが容易だったことにあります。

神戸地裁も「原告と共に寮室を利用していた同期生が被害品を所持していた可能性を否定できず」「寮室に出入りする、同期生が被害品を持ち込んだ可能性も否定できない」(H21.3.31決定)と指摘しています。

では、原告はどの程度、この部屋に居られなかったのでしょうか。

<毎晩、大勢の生徒が寝泊り>
原告の陳述書(H20.12.21)には、こう書いてあります。「1番委員のαさんはリーダー格であるので、2204号室には他の委員3名、寮委員3名を中心に、常時10数名の生徒が夜に集まっていました。前述の委員の他に、FFさん、MMさん、CCさん等が常時集まり、毎日10名前後の生徒が泊まり用の道具を持参して、ベッドに4人で寝るなどすし詰めの状態で泊まっていくのでした。泊まりに来ている生徒たちは夜遅くまで話していて、私は眠れなくて困り果て、また部屋に来ている生徒たちに馴染めないこともあり、私は5月中旬から別の部屋(EさんとYさんの4階2405号室)に泊まりに行くことが多くなりました。」(証言では、別の部屋に行くようになったのは5月初め)

Wさんの陳述書にも、この部屋に「ほぼ毎日複数人が集まったり泊まったりしていたと思います。」とあります。

しかしαは、平日は他の生徒は泊まりに来ていないと主張。「話をしていたり、そのまま寝たりもしましたが、夜には起きて、自分の部屋に帰っていました。休日の前(音楽学校は日曜だけが休みなので土曜日)は泊まることが多かったです。平日は完全に泊まることはなかったです。MMさん、CCさんは、10時30分のお風呂の時間まで遊んでいて、寝たりしていました。常時10数名が部屋に泊まるということはありませんでした。多くても、土曜日に7人ぐらいが泊まることがあったくらいです。」(陳述書 H22.3.3)としています。

またRも、「音楽学校は土曜日まで授業がありますので、土曜によく泊まりました。(中略)平日に泊まることはあまりなかったと思います。」(陳述書 H22.3.2)としています。

要するに、「原告を閉め出したりなんかしていない」「盗品を仕込むようなことはできなかった」と言いたいのでしょう。

しかし、αとRの主張は、公判でボロが出てしまいます。Eが、人が大勢いて眠れない原告が自分の部屋に「ほとんど毎日来ていました」と証言するのです。ちょうど次の証人はαで、こちらは平日には大勢は集まっていない、と陳述書通りの証言。おやおや、証人となった生徒同士、全員で口裏を合わせていたわけではないんですね。

焦った音楽学校は、Eと、同室のYに訂正の陳述書を提出させます。「原告は、私の部屋によく泊まりに来ていましたが、週に2,3日くらいでした。毎日、私の部屋に泊まっていたのではありません。」(H22.3.28)いまさら、悪あがきしても、ねえ…。

<原告は下校時と登校時に寄るだけ>
また、原告は証言で、朝の登校準備の時に30〜40分と、下校して着替えるときの10分ほどしか、2204号室に戻らなかった、と話しています。つまり、原告が2204号室にいる時間は、きわめて短かかったのです。これはEも証言で、朝、原告が準備のために2204号室に戻っていたことを肯定しています。そのうえ、かばんは2204号室に置きっぱなしでした。この部屋に出入りする生徒が原告のスペースやかばんに「盗品」を仕込むことは容易だったでしょう。逆に言えば、このように普段いられない部屋に、原告が盗品を隠しておくことは、困難です。

<学校は実態を知らない>
さらに問題は、音楽学校がこの部屋の実態を全く把握していなかったことです。「審尋(仮処分の審理)で代理人弁護士は知らず、事務長は「何人かなら」等という程度でした。」(原告母陳述書 H20.12.26)結局、音楽学校はこの件について弁明も主張もしていません。知っていたとすると管理責任が問われるし、知らないと正直に言うとこれまた「それで本当に教育機関なのか」ということになるし、結局その件については触れないということしかできなかったのでしょう。

そもそも、音楽学校生、特に予科生というのは毎日くたくたなのではないですか? 授業にレッスンに追われているはずです。いくら若いとはいえ、毎日夜遅くまでおしゃべりし、一つのベッドに4人で寝るような、体力を消耗させるようなことをしていることが信じられません。

さて、最後にこの時期のことをまとめておきます。平成20年4月11日が入寮式。原告がE、Yの部屋に泊まるようになったのは5月初めか中旬です。本科の洗濯機に原告の洗濯物が入れられていたのは、5月3日のことでした。洗濯物を仕込んだのは、2204号室に馴染まない原告にいらだった人物かもしれません(もちろん2204号室とは関係ないいたずらかもしれませんが)。5月25日にはすみれ売り(募金活動)があり、原告が注目されます。5月28日には学校に被害届を提出。6月初めから、原告は間違えてαのハンガーを使用、さらに、6月7日はαの誕生日ですね。「大捜索」はその直後、6月15日です。

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