宝塚音楽学校96期裁判の記録(全まとめ) ポイント解説

4. 音楽学校は「学校」じゃない

音楽学校に教職の資格を持っている職員はいないようです(原告代理人報告会より)。しかし、これは資格という面だけではありません。

音楽学校に常駐しているのは、副校長、事務職員だけです。教えるのは全員非常勤講師で、授業が終わると帰ってしまいます。校長は二週間に一度の朝礼の時しか来ません(事件当時)。

<副校長は話を聞くだけ>
副校長は事務長から話を聞くだけです。

たとえば証言で。「(原告側代理人)現実に目撃したとか、体験したかという話で聞いています(引用者注:質問しているのですが、の意味)。」「(今西副校長)その目撃はしておりません。」(中略)「(原告側代理人)そういう事実があったという、確定的な事実であると、だれかから聞いたんですね。」「(今西副校長)……。」「(原告側代理人)事務長、あるいは事務職員から、そういう事実があったものとして先生が聞いたんですね。」「(今西副校長)それは聞いております。」(H21.4.1 今西副校長証言)

<事務長も話を聞くだけ>
事務長も委員から話を聞くだけです。盗みの現場は見ていません。捜索の現場にもいません。原告の言い分もろくに聞いていません。

たとえば証言で。「(原告代理人)何故あなた方達はそれは原告だというふうに決めつけたんですか」「(樫原事務長)3人の生徒が、その財布の持ち主が居られた辺りに原告が座っているのを見たというふうに証言しているからです」(H21.4.1 証言)え、それだけ!? それだけなの!??

<講師も寮監も権限なし>
講師は授業を担当するだけで、生徒間のトラブルなどには立ち入りません。原告の母親のメモには、原告がいじめられていることに気付いた講師が存在したことが書いてありますが、その講師の取った対応は、「本科の委員に連絡する」→「本科の委員が予科の委員に注意する」なのです。「予科の委員は怒り狂って原告をさらに攻撃する」になってしまいました。原告の母親が人づてに聞いた某講師の発言がメモに残されていますが、「学校は頼りないし、生徒に任せっきりで全く知らん顔。無責任も極まりない実状らしいです。」と、関与する仕組みがないようです。事務職員と情報交換すらしていません。

寮には寮監(女性数名)がいますが、彼女らには何の権限もないようで、登場する場面は洗濯機の修理や、部屋の鍵開け程度です。原告が監禁されたとき、原告から電話を受けた原告母が寮監に頼んでも、様子を見に行くだけでした。

つまり、学校としての機能がそもそも無いのです。

<職員たちの恐ろしい言動>
当然、教育者としての心構えをもった人間もいません。

おかしなことに、学校職員らは何度も、授業中に「捜索」や「追究」のために原告を呼びだしています。原告は週に一度しかない授業を中座しなければならず、次の授業についていけなくなることもしばしばだったそうです。これが教育機関のやることでしょうか? 

事務長以外の男性職員の言動はかなりおそろしく、「原告を見てるとイライラする 明らかにおかしい」(神田)「学校・劇団・警察を巻き込んでも 自分の名誉を守るのか」(藤井)(以上、原告の母親のメモより)。とても「先生」の言葉とは思えません。(女性職員もいることが裁判記録からわかりますがが、言動は記されていません)6月15日の大捜索後や12月の退寮後、彼等は原告の部屋で「盗品」を撮影していますが、下着も多数あり、まるでセクハラです。

事務長が裁判所に提出した書類に、「(洗濯機)使用禁止といっても近くにコインランドリーがあって困らない。」(H20.12.19答弁書)と書いてありますが、コインランドリーは二駅先です。原告は「心ない文章だと思います。」「私たちは毎日学校と寮との徒歩での往復で精一杯です。二駅離れたコインランドリーに行くのは日曜日だけになります。沢山の洗濯物を抱えて、二駅離れた有料のコインランドリーに行けば「困らない」と本気で言っているのでしょうか。」(H20.12.22 陳述書)と嘆いています。生徒のことなど、何も考えていないことがよくわかります。

音楽学校はこう主張します。「音楽学校は、宝塚歌劇団(中略)とは別の組織ではあるが、営利企業である」「国民の正系の学校とは全く別の存在であることから、私立大学よりもさらに私的な存在であり、独自の伝統と校風と教育方針を堅持する音楽学校においては同校の校長により生徒の退学処分について、(中略)さらに広範な裁量が認められる」(保全抗告申立書H21.4.15)だから、教育を放棄してもいいというのでしょうか?

原告の母親は証言で、いじめがわかった直後に改善を申し入れた際の気持ちを「素晴らしい学校だと信じていました」「いい方向に持っていってくださると信じていました」と語っています。そうでしょうとも、我々ファンだって信じていましたとも。それがまさか、こんな学校だったとは!

<本来の教育者とは>
ちなみに、原告は盗癖を疑われた早い段階で、学生時代の先生に事務長と電話で話をしてもらっています。学生時代にそのようなことはなかった、と。仮処分が始まってからも、学生時代の先生が3人も陳述書を提出し、原告の人格を保証しています。本訴では先生のうち一人が証言もしています。しかし、音楽学校はそれら全てを無視。答弁書などでこの件について反論することさえしていません。

先生達の言葉を引用します。「宝塚音楽学校入学に際し、本校(注:高校のこと)を中途退学する決心をしたのも、ひとえに自分の夢の実現のためであったと思われます。ゆえに今回の件については、全て納得できないとの憤りを強く覚えております。」(H20.12.26 I先生陳述書)「原告は明るく誠実で、正義感のある生徒です。1年生のときは、級友が嫌がらせの手紙をもらったことを勇気を持って私に訴えてきて、解決のきっかけを作ってくれました。(中略)盗癖の有無についてのお尋ねのようですが、中学校3年間を通してそのような件に関して事案確認が一切無かったことを、ここに陳述書として提出いたします。」(H20.12.26 K先生陳述書)「初めから、そういうふうに犯人扱いとしてというか、犯人として決め付けたりは絶対しません。学校の職場では、生徒と教師、保護者との信頼関係で成り立っています(中略)心の成長を育てていきたいと考えています。」(H22.4.2 H先生証言)(先生から原告への手紙等は→印象的な言葉)原告の学生時代の先生によるこれらの言葉は、教育者としての愛に満ちています。この対比だけで、音楽学校が教育機関ではないことがわかるでしょう。

音楽学校は県認可の各種学校であり、学校教育法に規定される学校でないのは確かですが、「国民に夢を与えてきた宝塚歌劇団生を育てる教育機関」(H21.2.26 保全異議に対する答弁書:原告代理人)です。これでは、看板に偽りありとしか言いようがありません。 学校法人として税制上の優遇措置も受けています。調停後、教育評論家の尾木直樹氏は「親元を離れた10代の少女を2年も預かる以上、公共的な責任はある」(夕刊フジ H22.7.21)とコメントしています。

5へ。委員の自治って素晴らしいものなんじゃないの?

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