宝塚音楽学校96期裁判の記録(全まとめ) 事件の検証

3. 「精神科の通院歴がある」はどこから出て来たのか

原告は「盗癖がある」「精神科に通っていたことがある」「頭のおかしい子だ」と言われてきました。それは一体どこから出たものなのでしょうか。

<みんながそう思い込んでいた>
たとえば、GGの証言。「原告がそういう話をしたというのを、原告本人に聞いたか、ほかのだれかに聞いたかは分からないのですが、その話し合いのときに、だれかが言っていたのは覚えています。」「過去のそういう事実があるなら、もしかしたら、また同じようなことを繰り返しているのかもしれないというふうには思った」

みんなの常識になっていたことがわかります。

今西副校長の証言。「その中学生時代に、ご両親に内緒で、叔父様に連れていってもうて、精神科へ行ったということも、病院へ行ったということも聞いております。」

生徒だけではなく、学校側も、そう思い込んでいたのです。

<その発端は誘導尋問>
話の発端は、平成20年6月15日の大捜索でした。「盗品」が原告の部屋から発見されたとして、深夜まで追究が及んだ際、原告が自らしゃべったというのです。

αの陳述書「原告は、ぼそぼそと、「中学3年生のときに、自分では何故そうなったのか全く覚えがないのだが、友人の教科書を所持していたことがあり、その友人から問い詰められた」「その件で精神科の病院に通院したことがある」「中学生のときに、おじさんに付き添いしてもらい精神科の受診をした」などと話しました。落ち着いてはいましたがプルプルとふるえたりもしていました。その後、パニック状態となり、泣き疲れて眠ってしまいまいた。」(H22.3.3)

しかし、原告はこれを「言ってもいないのにそういうことになっていた」と主張しています。

「原告代理人)その詮索の時にあなたの方から自分から精神科に通ったことがあると答えたことがありますか」
原告)自分からは言っていません
「原告代理人)それでは、そういうふうな事を誰から言われて、それに同意したことはありますか」
「原告)よく覚えていませんが、いろいろ言われてうなずいたのだと思います」(H22.4.2 原告証言)

「深夜の問答で肉体的にも精神的にも疲れがピークに達していました。すると同室者で1番委員のαさんから「精神的におかしくなってそういうことをやる人は多い。病気でやったの?」、「以前にもやったことはない?」、「病気だったら仕方ないんだよ、みんなで助けていくよ」と優しく言われ、私は疲れて「そうかもしれない」と答えてしまいました。」(原告陳述書 H20.12.22)

こわーーーーーーーい!!

しかしαは証言で「原告は、これらの言葉は、私が言わせたものだと主張しているそうですが、そのようなことは絶対にありません。」と主張しています。

こわーーーーーーーい!!

<少人数しかその場にいなかった>
6月15日の追究は全員で行われたわけではありません。ですので、委員により全員に報告されました。αは証言で「精神科の話は少人数が聞いて自分から全員に話した。」と明言しています。樫原事務長も、5人の委員から報告を受けた、と書いています(H20.7.23原告父親宛手紙)。

ですから、本当のことは、その場にいた者にしかわからないのです。

しかし、生徒達はこれを信じ、テレビ取材を受けた原告に対してKが「精神科へ行ったか」と1時間も電話で非難する(K証言より)など、疑いようのない大前提となってしまいます。さらに、学校も委員の報告を真に受けました。藤井職員は原告に対して「精神科へ行け」と言い放ちます(原告母親証言より)。原告の親が学校との面談で「異常なしという診断書をもらってくる」と申し出ると、藤井職員は「それでは意味がない」とまで言っているのです(H22.3に提出された原告の母親のメモ)。(ちなみに、その直後(修学旅行期間中)、原告は臨床心理士のカウンセリングを受け、異常がないと診断されています。)

音楽学校は、原告の過去の盗癖についても、全く調査をしていません。原告の学生時代の先生が、「その件について問い合わせは一切なかった」と証言しています。「精神科」「盗癖」は、本当にそうであるかどうかはもはや問題ではなく、原告を責める際の名目として使われていきます。

4.テレビ取材 へ

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