宝塚音楽学校96期裁判の記録(全まとめ) 事件の検証

15. 生徒や親が復学に反対

平成21年1月下旬から、つまり二度目の仮処分申立てで「授業を受けることを妨げてはならない」という内容が追加された後から、学校は新しい理屈を考えました。「生徒や先生が拒否しているので、授業を受けさせてあげられません」というものです。

<生徒や親、講師に責任転嫁する理屈>
「演劇はもちろん、ダンスもバレエも日本舞踊も合奏も器楽もグループでおこなったりペアを組んで行ったりします。つまり、相手と一緒でなければ成り立たない部分が多くあります。その相手に原告の相手をすることは「強制」できません。」「相手を強制できない状態で講師のレッスンも成り立ちません。」「主だった講師の意見は聞いています。反対との意見です。」(H21.2.1 音楽学校側代理人による、原告代理人への「ご連絡」)これとほぼ同じ文面を、2月7日に登校してきた原告親子に読み上げています。

音楽学校は、この理屈で押し通すつもりでした。そのため、生徒や講師に「復学反対」の確認を何度も行います。 時系列順に並べてみましょう。

(1月6日 仮処分決定。原告の主張が通り、神戸地裁は原告に生徒としての地位を認める。)

⇒1月16日 学校、二度目の職員会議。今度はメンバーに講師を追加。

 1月17日 二度目の退学通知。

(1月21日 原告、二度目の仮処分申立て。生徒としての地位保全に「授業を受けることを妨げるな」を追加)

⇒1月21日 音楽学校、同期生たちに意見聴取。「予科生全員が明確に反対の意志を表明」

(1月29日 神戸地裁、二度目の仮処分決定。「原告が授業を受けることを妨げてはならない」)

⇒1月31日 音楽学校、保護者会を開く。退学で全員一致 。

(2月4日 原告側から、2月7日に登校するとの通告。)

⇒2月6日 音楽学校、同期生たちと講師に意見聴取。「予科生全員が明確に反対の意志を表明」

(2月7日 原告登校。登校拒絶と拒否される。)

(2月13-16日 原告の親と代理人から、同期生の保護者たちへ意見書送付)

⇒2月17日 音楽学校、保護者たちに「ご説明」を送付。「対応は学校を信頼してお任せいただきますよう」との趣旨(Wさん陳述書による)

 2月18日 音楽学校、同期生たちに意見聴取。「復学に反対を表明」

 2月22日 音楽学校、保護者会を開催。

原告や裁判所の動きがあると、それに対抗するために焦ってすぐに動いていることがわかります。

しかし、こんな主張は裁判所に一蹴されます。単なる責任転嫁だからです。「音楽学校が退学処分を正当化する事情として他の同期生、その父兄、講師らの意向を挙げることは、見方によっては、自己の指導監督責任を他者に転嫁するものともいえる。」(H21.3.31 神戸地裁決定)当たり前です。

<全員が悪いのか?>
復学に反対したのは全員、となっています。このことから、96期生全員に罪がある、という見方もあるでしょう。また、学校がそう仕向けたのだから、手を挙げざるを得なかったのでは、という見方もあるでしょう。

Wさんの親の陳述書によると、2月6日の確認は「「皆さんに一応聞く」という感じで聞かれ、皆音校の処置に賛成しました。」その後も何回か機会がありましたが、「先生も生徒の答えがわかっているかのような口調でした。生徒は皆口々にいやいやいやと言っていました。議論するまでもありませんでした。」とのこと。また、2月22日の保護者会についても「音校側が断固として闘っていく姿勢をみせ、保護者に原告の再登校を認めるか否かを挙手させ、出席者全員(私も含む)が認めないということで挙手しました。」と書いています。 あらかじめ答えが決まっているのですから、学校の責任が一番大きいのは確かです。

ちなみに、αは証言で、原告代理人に対して「学校に意見を聞かれていない」と答えています。「(原告代理人)(原告が登校することを)事前に知っていましたか。」「(α)登校する可能性があるかもしれないという話を聞いていました。」「(原)それに対して、生徒の意見を聞かれましたか」「(優)いいえ」(中略)「(原)原告が登校しても、授業のときに協力しないと、あなた方は言いませんでしたか」「(優)いいえ」。

にもかかわらず、被告代理人には「いいえ」ではなく、「覚えていない」と答えるのです。「(被告代理人)生徒の皆さんからも意見を聞くという機会が学校からあったんですが、覚えていませんか。」「(優)覚えていません。」つまり、自分たちが追い出したことにはしたくない。しかし、学校側にたてつくのもよくないと判断した。だから誤摩化した。さすがです。

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