宝塚音楽学校96期裁判の記録(全まとめ) 事件の検証

14. 弁護士が「登校拒絶」と立ちはだかる

仮処分で神戸地裁が「原告を学校に戻すように」と決定した後。平成21年2月7日、原告は登校しました。事前に通告し、授業が始まる前、予科ルームに予科生が集まっている時間である8時半に到着しました。

「私たちが、学校の門を通って玄関に向かっていると、事務長先生(樫原)が玄関前に立っていて、私たちの姿を確認したとたん、玄関に付いているインターフォンに向かって何か言いました。いつもなら玄関は開いている時間ですが、鍵を掛けていました。玄関の前で私たちが事務長に引き留められていると、1,2分経ってから裁判所で見覚えのある林弁護士、松本弁護士、藤井先生(教務課長)が校内から外に出てきました。」「林弁護士から「授業を受けにきた事に対しては、学校の主張に同意するのであれば話は違う。任意に授業を受けることは拒めないが、生徒や先生が拒否している」と。これは意味がよくわかりませんでしたが何度か言われました。」(原告陳述書 H21.6.4)

このよくわからない説明は、音楽学校がこの頃主張していた「生徒や先生が拒否しているので、自分たちはどうしようもない」という論理です。もちろん裁判所には一蹴された論理ですが、これを根拠に原告を追い返そうとしているのです。(→事件の検証 15.生徒や親が復学に反対

「林弁護士と母とは10分から15分位やりとりをしていましたが、林弁護士の背後に3人の男性が怖い顔をしてたちはだかっていましたので、校内に入ることは無理なんだなと悟りました。」(原告陳述書 H21.6.4)10代の少女に向かって、このような威圧的な態度でのぞむ、その姿勢はもはや教育機関ではありません。

原告代理人の報告書(神戸地裁宛H21.5.19)によると「代理人林幸ニ弁護士が原告親子に対し、「登校を拒絶する、任意の履行ができない」と大声を上げて入門を拒絶しました。」とあります。

原告は、授業を受けるつもりで荷物を準備してきました。寮ではなく宝塚市内にアパートを借りて住むつもりでいました。同期生にも自分のことをわかってもらおうと、前向きな気持ちでした。(→原告の言葉)「学校の授業を受けることしか考えていなかった私は、あまりのショックに学校からの帰りはよく覚えていません。」(原告陳述書 H21.6.4)…あまりにも可哀想です。

「(原告)は仮処分手続きを通じて、全て裁判所から生徒として認められたのに、結局学校が拒絶したことで、何度も喜んだり落胆したりを繰り返しました。10代の娘には過酷な出来事だったろうと心が痛みます。」(原告母陳述書H22.3.?)

裁判所の決定を守らないうえに、「登校拒絶」と叫ぶような暴挙。もしこれが本当に問題のある生徒だったとしても、真摯に向き合うのが教育機関であるはず。ましてや「原告が盗んだとはまず考えられない、登校させるべき」という裁判所のお墨付きです。それを、自分たちの都合だけで大声で拒絶して追い返すとは、教育機関の、いえ、人間のすることとは思えません。

15.生徒や親が復学に反対 へ

inserted by FC2 system