この裁判は、原告の「生徒としての地位」を守るため民事裁判であり、いじめた生徒を糾弾する刑事裁判ではないため、いじめの有無は争点ではありませんでした。そのため、本当にいじめがあったのか、いまだに信じられない人もいるかもしれません。
<音楽学校の主張は「盗癖があるので指導」>
音楽学校は当初、「いじめの問題ではございません」とHPでコメントしていました。その主張は、「原告には盗癖が有るから、仕方なく指導していた」です。
たとえば、裁判記録にはこのように書かれています。「原告は「自分が何をするかわからないので、自分を見ていて」と同級生に言った。(中略)だれかれとなく、それとなく気を配って、そのようなことのおこらないようにしよう、というのが同級生の意見であった。(中略)そのことが、原告の同級生から監視されているというような主張になっている。」(答弁書H20.12.19)
「原告にとっては、(委員は)煙たい存在かもしれないし一番厳しく対応する存在でした。委員に注意をされるし厳しく当たられるので、委員にいじめられていると主張されているのかもしれませんが、それは全く違うと思います。」「原告のなしたことは、その共同体にひびた入ったようなものです。委員や他の生徒たちがとった行動は、そのひびを修復するための行動と思われます。」(今西副校長陳述書H21.3.12)
これだけ読むと、そうなのかなあという気もしないでもないですが…。それにしても、自分で「盗癖があるから見張っていてほしい」なんて言うのは奇異な感じがしますし…。
<原告の主張>
さて、原告側の主張はどうでしょうか。
まず、盗癖というそもそもの前提を、「捏造である」と否定します。「深夜の問答で肉体的にも精神的にも疲れがピークに達していました。すると同室者で1番委員のαさんから「精神的におかしくなってそういうことをやる人は多い。病気でやったの?」、「以前にもやったことはない?」、「病気だったら仕方ないんだよ、みんなで助けていくよ」と優しく言われ、私は疲れて「そうかもしれない」と答えてしまいました。」(陳述書H20.12.21)
原告側の書類は詳細で、陳述書は何ページにもおよびます。しかも、母親が原告の電話やメールを元に、日々記録したメモもあります。そこには、監視されるだけでなく、無断で部屋を捜索されたり、部屋の電気をつけることを禁じられたり、洗濯機を使わせてもらえなかったりということが書いてあります。「それとなく気を配った」結果が、洗濯機を使わせないとか、電気をつけさせないになるんでしょうか…??
そして、委員や他の生徒の言動も記録されています。
・「○○(郷里)に帰って出てくるな」
・「何であんただけ(授業を)楽しそうに受けているんだ」「ムカつく」「笑うな」「調子にのるな」
・「先生にいじめられてますアピールするんじゃねえよ」
・「存在を消して」
・「死ねばいいのに」
無理! もう無理!! これを「委員として注意している」とか「厳しくあたっている」とか、ましてや「ひびを修復する作業」だとは、到底思えません。
そもそも、いじめは本人がどう思うかが重要だと文部省も規定しています。
<音楽学校は反論しない、できない>
では、音楽学校はこれらの原告の主張にどう反論しているのでしょうか?
…反論していません。時折「本人がそうしてくれと言ったから」「共同体を守るための作業」と繰り返し、「盗んだんだから退学は当然だ!」と言うばかりです。盗んだ証拠も提示できていないのに…。
これって、いじめですよね?