宝塚音楽学校96期裁判の記録(全まとめ) 印象的な言葉

原告代理人の言葉(裁判記録より)

準備書面(H20.12.22)より
今回の音楽学校の主張を読んで、これがタカラジェンヌを育てる音楽学校の主張だと思う人はいないであろう。音楽学校の主張及び原告の陳述書を読んで、世間はどのように思うであろうか。現役の宝塚劇団員、その出身者はどのように思うであろうか。(中略)

原告だけをターゲットにしぼった不実告発、いじめの横行があるとする原告の主張を認めれば、不実告発やいじめに関与した委員、寮委員のリーダー格をはじめ、その取り巻き生徒らの処分をしなければならない。それを支持して女性職員の立ち会いもなく部屋を捜索したり、授業を受けさせない行動を取った事務長以下の職員の処分(懲戒解雇等)も不可避となる。96期40人のうち、その半数近くが退学処分や懲戒処分となったり、事務長が解雇となれば、音楽学校、宝塚歌劇団では前代未聞の醜聞となる。それを回避するためには何としてでも原告に虚偽の自白をさせて反省の態度を取らせなければならなかったが、原告及びその両親はこれを拒絶した。

すなわち、音楽学校が挙証責任を果たせなかった責任を、退学処分という形で原告を排除することにより、自分たちの保身を図ろうとしたのが、本件退学処分の本質である。(中略)

事の追求に事務長以下が「証言」の取り付けに熱中すること自体問題だと言わざるをえない。事務長らは、コンビニ店には万引きされた物の有無を確認していない。原告はそのことを要求したが、生徒や学校や警察を巻き込んでまで無罪を主張したいのかと一喝された。このような態度は教育機関としてあってはならないことである。
準備書面(H20.12.29)より
(テレビ取材に関して)
音楽学校の生徒は、この程度のことで鬼の首でも取ったように大騒ぎして原告を責め立てたり事務長に報告する程、未熟なのである。

(コンビニで万引きしたという物品について)
捜査のプロ(専門家)でもない学校職員が行った「捜査」には、手法も含めて信憑性がない。審尋において音楽学校代理人は「窃盗(万引きをしたこと)が推定される」と発言したが、裁判官から「推定」では退学理由にならないのではないかと言われ、「推定が駄目なら、窃盗だ」と答えた。(中略)このように捜査のイロハも知らない事務職員が「否定できないものと音楽学校は考えている」とか「事実の確認をした」「その全部の目撃者の説明の総合として、今回の事実の認定をした」など、茶番である。
音楽学校弁護士への要求書(H21.1.8)より
原告は、神戸地裁によって、明日からでも授業を受けに行く権利が認められたのです。それにも拘わらず、1月14日までに言いたいことがあれば聞いてやると言うこの連絡書の文面は如何なものでしょうか。

当職(=原告代理人本人)は、論点について十分な反論を行ったと自負しております。むしろ、全くと言っていい程、当方の主張に反論を行っていないのは貴職の側と考えています。審尋の席で「盗癖があるのではないか」と放言した根拠も未だに示されていません。神戸地裁の審尋に、事務長を出頭させ、校長、副校長が出頭していないことにも、危機感の欠如が現れていると思います。原告のことを思い、陳述書を書いた原告の中学校や高校の担任(教諭)という教職者すら軽んじていると言わざるを得ません。失礼ながら、裁判所に対する文書や今回の連絡書も、通常我々法曹が書いた文書とは思われませんので、素人の樫原事務長に書かせているのでしょうか。

「犯罪」を犯しているのは原告ではありません。人道的配慮を欠き、彼女を一方的に犯人と決めつけていじめ抜き、裁判書類においても名誉毀損行為を行っているのは学校側です。
保全異議に対する答弁書(H21.2.26)より
音楽学校にとって、本件裁判は、生徒や事務局職員の予断と偏見による誤った行動に従った結果、歯止めがかからなくなった自らの行動について襟を正す重要な機会である。それにも拘わらず、生徒に対する指導を放棄し、誤った意見を聞いて自己の意見とし、代理人を押し立てて、裁判所の仮処分決定に敢えて背いて原告の登校を実力で拒絶するという過ちを再び繰り返した。

多くの国民に夢を与え続けてきた宝塚歌劇団生を育てる教育機関たる音楽学校に、正義の理念はないのであろうか。
準備書面(3)(H21.3.25)より
(原告にレオタード等を売った生徒名を答えろ、という音楽学校の「求釈明」に対して)
このような求釈明を行うということ自体、音楽学校が生徒のことを何も知らないことを自白しているようなものである。音楽学校が生徒の実態を何も知らないし、知ろうとしないことが本件の根本的な問題である。このようなことは、原告に求釈明することではなく、学校が自ら生徒の実態を調査すべきことである。しかし実態調査が困難を極めるであろうことは、今西副校長の陳述書がいみじくも言う「同期の団結力、結束力」の厚い壁に阻まれることは容易に想像できる。しかし、その立証責任を原告に求め、生徒達を「売れ」というのは教育機関としてあまりにお粗末と言うほかない。
生徒達は、同期や先輩の本科との一致結束により、誤った方向に行きやすいのである。これを音楽学校は美化しているのである。

原告は音楽学校に対し、生徒が勝手にいろいろな理不尽なルールを作っては恣意的に適用してきたことを従前から問題としている。(中略)なぜ音楽学校が生徒に理不尽なルールを作るのを許しているのかを問題としているときに、「生徒間で決めているから」と答えるだけなのである。これは生徒がいやだと言っているから授業を拒否するという主張と共通したセンスであって、音楽学校の教育機関としての主体性を放棄するものである。
保全抗告に対する答弁書(H21.6.4)より 
「原告の行為が、極めて高いモラールが要求される音楽学校の生徒の行動としては不適切極まりなく、音楽学校の生徒としての資質を欠く」と主張するが、資質を欠く生徒とは相手方ではなく、相手方を陥れた複数人の生徒と教職員である。さらにそのような教職員や生徒の指導監督を怠っている音楽学校の責任である。

今西副校長の陳述書を見るまでもなく、同期生の団結力は凄まじく、今さら相手方の主張に酌みすることが、生徒としての生活や将来にとってどのような意味を持つのかを生徒自身がよく知っている。真実を述べれば、相手方のような目に遭うことは必然であるからこそ、本当のことは言えないのである。それが本音楽学校の実態である。(中略)一度事件を捏造した以上、音楽学校の誰が調査しても、生徒は同じことを言わざるを得ないのである。

(財布について)
財布の持ち主氏が語っている趣旨を完全にねじ曲げ、原告が隣に座っていたとか、倒れたカバンから財布がこぼれ出た証拠にするなど、法律家としての倫理すら感じられない立証活動である。同氏を「冷静な説明ではない」「財布の持ち主の供述のこの部分は信用できない」等と非難する前に、同氏の調査もしないまま、原告が同氏から財布を盗んだと断定した自らの手続違反行為を恥じるべきである。(中略)

音楽学校はここでも、原告と委員が同居している部屋に、他の委員や生徒が毎晩10名程度集まり、寝泊まりしている実態について、敢えて沈黙している。「高いモラール」を生徒に要求するならば、そのような日々の実態を調査し、正すことが最重要課題ではないだろうか。
音楽学校の主張は、このように自分に不都合な事実関係の指摘には一切触れることなく、ひたすら学校に讒言した生徒が今さら訂正したり削除を求めることができなくなった事実を繰り返しているだけである。よって、これまでと同様に、本件の仮処分は認可されるべきである。
訴状(H21.11.1)より 本訴
音楽学は、間接強制にかかる金員を支払ってでも、原告に授業を受けさせない。(略)このような被告の態度は、法が予定している裁判制度すら否定してまで、違法な退学処分を維持しようという強固な意思に貫かれており、故意による違法行為に該当する。
準備書面(2)(H21.12.16)より 本訴
原告側は被告学校の退学処分前から、詳細な反論を行い、被告学校に誤った判断をしないよう説得を試みてきたし、原告本人や保護者の意向から地元マスコミ等、世間に対して一切漏れないように被告学校の立場も慮って、仮処分手続という非公開の手続により妥協案を探ってきた。他の保護者に対しても誤った被告学校の判断で子女を傷つけることがないよう理解を求める文書を送付した。仮処分に関与した裁判官達の態度も同様に、10代の生徒達の将来や被告学校のことを考え、本訴まで至らせないよう配慮したものであった。その決定文の理由を被告学校は噛みしめることがなかったのであろうか。このような配慮を全て無為・徒労に終わらせたのは、被告学校である。
「付添い及び遮へいの措置についての上申書」に対する意見(H22.1.26)より 
被告は「他の生徒達が、今後、宝塚歌劇団の舞台に立つ予定であること」から取扱いを異にしろと主張する。しかし、そもそも本件は退学処分を受けたことにより、宝塚歌劇団の舞台に立つことをも拒絶された原告が、その処分は不当であると訴えている事案である。舞台に立つことを拒絶した原告に対し、舞台に立つ予定である生徒達を特別扱いしろと主張するところに、本件における被告の態度が現れている。

また、裁判を監視する傍聴人に対し、「傍聴人は、他の生徒達がいじめをしたものだと思い込んだまま、好奇の目で他の生徒達を見つめることが予想される」と決めつけ、「このような事態は、他の生徒達の名誉に著しい不利益を与えるものである」とするのは、傍聴人への冒涜であろう。傍聴人には宝塚歌劇団の熱心なファンの方もいるのではなかろうか。被告が決めつけるような傍聴人がいたとしても、それは本件に限ったことではなく、どの裁判でも等しく同じ可能性があるのであって、傍聴人には裁判所が定めたルールに従う以上に、その内心に干渉できないはずである。
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